結局、私が彼女の屋敷に通ったのは40日くらいだったと思います。そして、今思い返してみると40日のほとんどの間、私と彼女は喋りませんでした。ほとんどのことは無言の内に進みました。私は彼女の屋敷にいましたが、彼女に気を使うようなことはほとんどなかったのです。
私が料理をしている時、彼女は台所にいませんでした。私が掃除をしている時は、たいてい庭にいました。私が絵を描き始めると、彼女はやってきた猫と一緒に庭に散歩に出てしまうのです。
そんな彼女と一度だけ、本当に一度だけ、長く話をしたことがありました。きっかけは私が、家の新聞で彼女の名前を見つけたことだったと思います。
私は、その時まで彼女が画家で、絵を売って生計を立てているのだろう、とは思っていました。しかしまさか彼女が日本人洋画家を代表する存在で、新聞社が彼女の回顧展を主催するなどとは夢にも思っていなかったのです。彼女が40歳で作品の発表を一切しなくなり、姿も消してしまった生きた伝説だということもその時初めて知りました。
「それまでのたくわえで今も生きていられるんだ。ありがたいことさ」
「どうして絵を発表しなくなったんですか?」
「……他人はね、結局条件付だからね」
「え?」
「絵を褒められれば嬉しい、高いお金で買ってくれると言われれば誇らしい…でもね、それはどこまでいっても条件付、期限付」
「相手が気に入るかどうかってことですか?」
「賞賛も報酬も、他人から与えられるものはすべてそうだ……ルールのあるゲームなのさ」
「それはそれでいいんじゃないですか?気に入ってもらえるなら、必要にされるなら……」
「そのとおりだ。でも私はね、それだけじゃ満足できなかった……」
私は彼女の話を聞きながら、自分の「ヒガイモウソウ」について思い出していました。
私が痣を通して得た結論と、彼女が絵を通して得た結論、それはぜんぜん違うけれどでもどこかとても似ているように思えました。どちらも極端で、ひねくれたものの見方のように思えました。たぶん私も彼女も、少し(いえ、相当)ひねくれていたのです。私の「ヒガイモウソウ」もひねくれていますが、彼女が絵について言っていることも相当ひねくれていました。
もちろん、そんなことを私は彼女に話しませんでした。たくさんの人からその才能を称えられた彼女と、自分を同じものだと思うなんて失礼だと思ったのです。
「あいつみたいにやりたかったんだよ」
そう言って、彼女は猫を指差しました。指差された猫は、知らぬそぶりで空を見上げていました。
「そう思ったら色々なものが邪魔になった……ひとりになるのが手っ取り早かったんだ。そのために衣食住のことも全部自分でできるようにならなきゃいけなかった。必死で勉強したよ、今のあんたみたいにね」
私は、その時ようやく自分のやらされていることの理由を教えてもらえました。ひとりで生きることを10年、20年続けようと思ったら衣食住の管理を人任せにするのは無理だというのが彼女の哲学でした。
「自由になるためには、そこまでひとりにならなきゃいけないんですか?」
「さあね。別の方法もあったかもしれない……でも私は、この方法しか思いつかなかった」
猫と同じように彼女は空を見上げながら、
「無論ね、私の「ひとり」だって完全な「ひとり」じゃないんだ。食べ物だって着る物だって、結局、他人が作ったものに金を払ってる。その金は絵を売って他人が払ってる。直接、顔を合わさないだけで、結局、金で繋がっているのさ。」
完全な自由なんて人間にはどだい無理なんだよ、彼女はそう言いました。
「でも、たとえ不完全でもね、どこまで自由にやれるか試してみたいんだ」
そう話す彼女の横顔は、とても静かで、哀しくて、でも綺麗でした。私から見たら、やはり彼女は「ひとり」でした。うらやましいほど彼女は「ひとり」で、だから彼女は自由だったのです。
そして、彼女がそれほど「ひとり」で、それほど自由でいられるのは、彼女自身がそれを勝ち取ったからに他ならないことに、私は気付かざるを得ませんでした。
「ひとりになるには、お金も必要ですね……」
「そのとおり。昔に比べればだいぶ安く付くようになったけどね……それでも稼ぐのは簡単じゃあない」
「私は、どうやってお金を稼げばいいんでしょうか?」
「それがわかれば世話ないさ。」
「教えてくれないんですね。」
「教えられないんだよ。」
そう言うと、彼女はまた猫と一緒に散歩に出かけてしまいました。
2008/5/15
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