世界が私を愛してくれるので
(むごい仕方でまた時に
やさしい仕方で)
私はいつまでも孤りでいられる

  

              「62」谷川俊太郎

  

 1

 死ぬことは既に決まっていました。いかに綺麗に死ぬかだけが問題でした。15年の不幸な人生の最後くらいはせめて綺麗に終わらせたかったのです。

 私が選んだ方法は睡眠薬の多量摂取でした。睡眠薬はネットで驚くほど簡単に手に入り、残る問題は死装束と死ぬ場所でした。

 私の顔の右半分を覆う呪われた痣は、あらゆる洋服の美を掻き消すのに十分な威力を持っておりました。かといってミイラ男のように顔を包帯で覆ったまま死ぬのも美しくありません。私は痣の色と同じ黒のドレスを選びました。私の全てが夜の闇に溶けてほしかったのです。

 最大の問題は死に場所でした。既に2年近く家の外には出ていなかった私でしたが、部屋で死ぬのは嫌でした。不動産は自殺者が出ると価値が一気に下がります。ただでさえ迷惑をかけた両親に、これ以上の迷惑をかけるのは忍びなかったのです。私にだってそれくらいの気遣いはできるのです。

 そこで私が思い出したのが川の向こうにあったお屋敷の庭でした。高い塀に囲まれたそのお屋敷の庭には巨大なイチョウやケヤキが立ち並び昼でも薄暗かったのです。近所の子供たちはみな塀にある小さな穴から屋敷の庭に忍び込んで度胸試しをしておりました。友達のいなかった私も、庭の話だけは聴いたことがあり、ひとりで忍び込んだのです。

 巨木に囲まれたその庭は暗くひんやりとしていて、そして何より静かでした。死に場所について悩んでいた私は、ふとあの庭を思い出したのです。

 決行したのは5月の末、新月の夜。書置きを机に遺し、とりあえず顔に包帯を巻きフードつきのパーカーで顔を隠しました。遺書と睡眠薬と水筒を持って私は2年半ぶりに家の外に出ました。久々に渡る橋を歩きながら、私はまるで遠足みたいだなとひとりごち、川を渡りました。何年も前に渡ったきりだった橋がずいぶんと小さく、狭く感じられたのを覚えています。

 子供の頃と同じように塀にできた小さな穴から庭に忍び込みました。庭は私が子供の頃と変わらず暗く、静かでした。まるで地球上でこの場所だけがとまっているかのようでした。イチョウの木の根元に座った私は包帯をはずし、持ってきた睡眠薬を何回かにわけて口に入れ、水筒の水でそれを体の中に流し込みました。油断しているとゲップが出そうになるのが困りました。死ぬ前に最後にしたのがゲップでは絵になりません。

 しばらくすると良い具合に眠気が体を襲いました。睡眠薬の眠気はとても重くて強いと聞いていましたが私の眠気はとても自然なものでした。こんなに安らかな気持ちで眠りにつけるのは何年ぶりだろうか。そんなことを思いつつ、私は眠りについたのです。

 ところが翌朝、私は自分の右頬の痣が猫の足に踏まれているのに気付いて目を覚ましました。

  

第二話

2008/5/13
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