彼女の入れてくれた紅茶のおいしさは今でも覚えています。今でもあの時飲ませてもらった紅茶の味を再現しようと色々工夫しているのですが、同じものはできません。
「世界には人間しかいないわけじゃないだろ?」
「え?……いや、でも、話し相手って。あの、まさか、お花さんとお話できちゃうとか、妖精さんがそこにいるよとか、ガラスに映ったコーデリアとおしゃべりとかそういう話ですか?」
「そこまで能天気にゃできてないけどね」
彼女はそう言って窓のほうを指差しました。
そこにあったのは小さなキャンバスと絵筆、そして油絵の具のパレット。私は近づいて、キャンバスを覗きました。
美術や絵画と何の縁もなく育ってきた私から見ても、その絵は圧倒的に上手で、夢のように綺麗で、そして寂しげでした。
キャンバスの中に午後の庭が確かな存在感を持って広がっていました。草花や木々、太陽や空気の色などのひとつひとつのものが実に細かな筆遣いで丹念に描かれていたのを覚えています。ひとつひとつの花や木が大切に描かれている。それが私にもなぜかわかりました。
「絵筆とキャンバスがあれば、どんなものでも話し相手になる。人間よりも遥かに数は多い」
彼女は二杯目の紅茶を入れながら、こともなげにそういいました。
「だいたい、人と会ったり話したりしなきゃ死ぬってもんでもないだろ?」
「それはそうですけど……でも、それで生きていけるんでしょうか?」
「生きていけるようにすればいいんじゃないの?」
この人はどこかおかしい。
彼女の言っていることは、お花さんとお話したり、妖精さんが見えちゃったり、鏡に映ったコーデリアを親友だと思ってしまう人とは違いましたが、その違いは紙一重のものでしかないように思えました。でも、私は同時に気付いていました。彼女には私や他の人間にする、あのイヤな「匂い」がしないということに。
今思うと、彼女は、私にあまり関心がなかったのだと思います。なんの関心もない私のほうにちょっとだけふり向いてくれた。庭に咲いていた雑草を、ちらっと見た。たぶん、彼女にとって私はその程度のものだったのです。
でも、私にはそんな風に見られることが、とてもとても新鮮だったのです。
私が彼女に絵を教えてほしいと言ったのは、もう少しそんな風に見ていてもらいたかったからだったのです。
2008/5/13
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